【アラベスク】メニューへ戻る 第15章【薄氷の鏡】目次へ 各章の簡単なあらすじへ 登場人物紹介の表示(別窓)

前のお話へ戻る 次のお話へ進む







【アラベスク】  第15章 薄氷の鏡



第2節 似て非なる [4]




「前にも言ったけど、君は僕の事を甘く見ているようだね」
「そんな事はない」
「そうかな? 僕なんて、ちょっと強く突っぱねれば簡単に諦めるとでも思ってるんだろう?」
「思ってるというか、そうなって欲しいなとは」
「期待しているのか。残念だね。僕は引かない」
 顔を寄せる。
 この唇に、聡は何度触れたのだろう? 霞流は触れた事があるのだろうか?
 目の前で小童谷に奪われた美鶴。
「僕は諦めないよ。君だってそうだろう? 好きな人のいる君にならわかるはずだ。それとも、君の想いはそれほどでもないのか?」
「そんな事ないっ!」
「そうか? そのワリには、恋心というものをあまり理解はしていないように見えるけど」
「見えるって、どこが?」
「例えば、僕が諦める事を期待してるってトコロだよ。本気で好きなら、絶対に諦めないはずだ。それとも、やっぱり僕の気持ちなどはほとんど全く理解もしていないって事かな? どちらにしても」
 顎に添える指にグッと力を入れた。
「君には教えてあげないといけないね」
「なっ なにを」
「本気の恋ってヤツをさ」
「そんなの、私だって知ってる」
「だったら僕の想いもわかるはずだ」
 ゆっくりと覆い被さる。
 わかるはずだ。好きな人が別の男とキスをしている現場なんて目撃させられた、この屈辱。
「わかるはずだ」
 わからないとは、言わせない。
「絶対に、誰にも渡さないよ」
「それはこっちのセリフだ」
 低く這うような声に、瑠駆真の動きがピタリと止まる。同じく硬直し、目を見開いた美鶴。次の瞬間には瑠駆真を突き飛ばしていた。反動で自分は背中を駅舎の壁に打ち付ける。少し埃を被ったパネルが揺れる。この駅舎が、駅舎として人々から頼りにされていた頃の思い出。
 壁にかかる色褪せた写真を一瞥し、落ちたり傾いたりして美鶴を傷つけるような事が無いのを確認してから、瑠駆真は瞳を細めて入り口へ流す。
「相変わらずタイミングが悪いね」
「褒めて頂けて光栄だ」
 美鶴が口を挟む暇も無く瑠駆真と(さとし)は睨み合い、やっぱりと言うか、いつものようにと言うか、お互いの間でバチバチと火花を飛び散らせる。
「ひょっとして、外でタイミングを見計らっていたとか?」
「は?」
「僕たちがあんまりにもいい雰囲気でお似合いだったから、入り損ねていたとか?」
「なっ 冗談っ!」
 俺が覗き見でもしてたって言うのかよっ!
「そんな悪趣味じゃねぇよ」
「どうだか? まるで覗き見でもしていたかのようなタイミングだった」
「いい加減にしろよ」
 聡はコキッと首を鳴らす。
「だいたい、お前と美鶴のどこがお似合いだって言うんだよ? 自惚れんなよ」
「自惚れじゃない。自覚しているだけだ」
「コイツッ」
「やめろ」
 うんざりと美鶴が唸る。手早く身姿(みなり)を整え、瑠駆真を避けるようにして机へ向い、再び椅子に座る。
「たまにはオトナシクできないのか?」
「できない」
 即答。
「だいたい、喧嘩売ってきたのはコイツだ」
「喧嘩なんて売ってない。君が勝手に買っただけだ」
「売られてねぇもんは、買う事もできねぇだろ」
「そこが君のすごいところだ」
「なんだとっ!」
「いい加減にやめろって言ってるだろっ」
 思わず声を大きくする。
「ったく、聖夜にキスした仲だろ? もう少し仲良くしろよ」
 ため息交じりにボソリと呟く。だが、途端に漂う殺気を帯びた不穏な空気。いや、殺意は無いだろうが、なんとなく異様な雰囲気を含んでいる。
 背筋に冷たいものを感じ、教科書へ向けていた顔をあげようとして、途中で思いとどまった。
 やばい。原因は私の発言か。
 右手を口に当てる。そんな美鶴へ、冷ややかな声。
「美鶴」
 反応できない美鶴。
「美鶴、君は今、言ってはいけない一言を言ってしまったようだ」
「あ、いや」
 誤魔化す事もできずに仕方なく顔をあげる。どう頑張っても、顔が引き攣ってしまう。
「美鶴、あれほど言っておいたのに、まだその話を出すか?」
「あ、いや、それは、その」
「思い出すだけでも吐き気がする。今すぐにでも口を(ゆす)ぎたくなるほどの(おぞ)ましい体験だったと言うのに」
 言いながら眉を顰める瑠駆真。
「わ、わかってるよ。だから、忘れよう。忘れようよ、ね」
「お前が思い出させてるってんだよっ!」
 拳を握り締めて激しくツッコむ聡。
「こっちは必死で忘れようとしてんのによっ!」
 あれは事故だ。間違いだったのだ。
 思い出すたびにそう言い聞かせる。
「ったく、なんでお前はそうやって余計な事ばっかり口にすんだよっ」
「ばっかりってどういう意味よ」
「ばっかだろっ! こっちは忘れたいってのによっ」
「それはわかってるよ」
「わかってて言ってるのかよ。(たち)悪いな」
「なによ、別にチラッと言っちゃっただけじゃない。いつもいつも口走ってるワケじゃない」
「当たり前だっ あんな発言を年中聞かされてたらこっちはたまんねぇ。あぁ クソッ! 鳥肌が立ってきたっ!」
 全身を掻き毟るように身体を捻り、大きな掌を口に当てる。下手をすると、重なった唇の感触が蘇ってきそうだ。
「どうしてくれる? 責任取ってくれよ」
「責任って」
「口直しっ」
 と、言うが早いか両腕を伸ばしてくる聡。
「ひゃっ」
 思わず声をあげるが、それより早く割ってはいるのは瑠駆真。
「どさくさに紛れて何をする?」
「お前の言えるセリフか? 隙あらば美鶴に手を出すクセに」
「手なんて出してない」
「じゃあさっきのは何だ?」
「正当なアプローチだ」
「モノは言い様だな。勉強になるよ」
 と、今度は瑠駆真へ腕を伸ばす。
「その減らず口、俺にはとても真似できない」
「減らず口? 失礼だな。頭の回転が速いだけだ」
「なにっ!」
「だから、やめろって言ってるだろっ!」
 そうして口喧嘩から掴み合いに発展しそうなところでツバサとコウが顔を出し、今日のところは不完全燃焼で事無きを得たのだった。





「瑠駆真にあんな事を言われる筋合いは無い」
 ボソリと呟きながら足元の小石を蹴る。駅舎からの帰り道、暗くなり始めた周囲になどは目もくれず、美鶴は少し俯き加減で乗り換えの駅へ向う。
 木塚駅の周辺はそれなりに人で混雑しているが、誰もが寒さに身を縮こまらせながら足早に無言で通り過ぎて行く。家路を急ぐ人々の気をあの手この手で引こうと懸命に頑張る居酒屋のバイトの声が寒々と響く。
 明日は節分だ。鬼の面やら節分豆が目立つ店先に、気の早いバレンタイン商品が混じっているのが少し滑稽。節分というイベントだけでは華やかさが欠けるのかもしれない。まだ先の事とはいえ、チラチラと商品へ視線を投げる女性もいないワケではない。
 どちらにしろ、それなりには賑わっている。
 あの時は、クリスマス一色だったな。
 イブの夜、小童谷陽翔が飛び出して騒然となった交差点はもうすぐだ。
 自殺だろう。
 状況から見て誰もがそう思う。だが、理由は何?







あなたが現在お読みになっているのは、第15章【薄氷の鏡】第2節【似て非なる】です。
前のお話へ戻る 次のお話へ進む

【アラベスク】メニューへ戻る 第15章【薄氷の鏡】目次へ 各章の簡単なあらすじへ 登場人物紹介の表示(別窓)